「かめこ展 vol.10」、終了しました。

 少し時間が経ってしまいましたが、参加していた「かめこ展 vol.10」が7/17に予定通り終了しました。ご来場いただいた皆さま、SNSとかで告知にご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。そして、一緒に参加した出展者の皆さん、お疲れ様でした。そして、今回、声をかけてくれた主催のせいいちさん、ありがとう。

 告知のエントリーでも書きましたが、かめこ展に参加するのは、vol.1以来。そして、初めての写真展。そのときは、写真展ってなんだかよくわからずやったような気もしますし、まさか、こんなに続くとは思ってみませんでしたねぇ。10年も続けるなんてすごいよねぇ。と、しみじみ。なので、最近は本名名義での展示が多かったのですが、今回は、あえて「mamo(mamotaso)」名義でのでした。10年も経てば、変わったところもあり、10年経っても変わらないところもあり、と。他の写真展では感じることのない、10年間のいろいろなことを想う写真展となりました。また、久しぶりにお会いできた方々も多く、参加して良かったですな。

 今回のテーマは「日本」。うーん。悩みました。なんて言うか、どうしてもこのテーマを普段撮っているような女の子のポートレートに落とし込むことができませんでした。「日本的な物」を持たせるだけでは安易すぎるし。

 悩んで出した答えが、家族の写真。家族と言っても、母親しかいないけど。祖父、祖母、父は遺影での登場でw 

 なんでそんな写真にしたのかと言うと・・・。タイミングとしかいいようがありません。ネガティブな理由、ポジティブな理由の両方があります。それもここでは書き出しきれないくらい。一つ書くとすると、「国籍とか宗教とか習慣とかそう言うこととは関係なく、自分にとって日本とは、自分を育ててくれた人と一緒に暮らしている」と言う考えに今回はたどり着いたからです。そして、そのことを写真として記録することで、自分が日本人であるエビデンスになるのではないか、と思いました。

 実際に撮った後も、正直、この写真を「かめこ展」で展示することが不安でした。だって、母親の写真=おばさんの写真だよ。かめこ展はもっとお祭り気分で楽しい写真のほうが良いのではないか?と。また、あまりにもプライベートな写真なので、そっと自分の中でしまっておくほうが良いのではないか?と。3年2組(仮)のメンバーにも相談してみました。

 でも、このタイミングで「今の自分」を出せる写真はこの写真だったのです。

 展示の設営が終わったあと、その不安は吹き飛びました。これを出して良かった、と。

 「女の子の写真」を見に来られた方々には見事にスルーされまくってましたが、足を止めてご覧いただけた方には概ねポジティブなご意見をいただけ、自分の意図はそれなりに伝わったと感触を得ることができました。オブジェクトとしていかにも日本的な物を撮るつもりはなかったのですが、田舎にある実家での撮影ってことで、自分が思っていた以上に実家の中にある物がご覧いただいた方に日本を連想させてたようです。写真って面白いですね。自分で「写したもの」だけでなく、「写ってしまったもの」で自分の意図以上の情報をご覧いただいた方に与えると言うか。

 中には、”mamoさんは死のことを考えている”とおしゃった方もいらっしゃいましたが、うーん、そうかもねぇ。なんだかんだで写真は撮っていますが、この撮影の前は満身創痍の状態だったしね。そんなことを感想をいただいたのは初めてのことだったので、ちょっと困惑はしましたが、自分の写真に少しは深みが出てきたってことかな、と(レッツ、ポジティブ・シンキングw)。

 ちなみに、展示が家族写真と自分してはいつもとは違った写真だったので、ブックは”「いつもはこんな写真を撮ってます」ブック”と題して、いつもの女の子写真、それもスタジオ、屋外、コスプレ、と何でもありの内容にしたのですが、こっちはあまりウケが良くなかったですね。「mamoさんって、一体、何が撮りたいの?」ってなっちゃったw

 そんなわけで、久々のかめこ展は再び、自分の人生の中でも深く記憶に残ることでしょう。

 それにしても、家族写真ってポートレートとしては最終兵器ですなぁ。次に女の子のポートレートを出したら、「あれ、なんで?」ってことになりそうです。まぁ、次にかめこ展に参加するのは10年後だから、誰も覚えていないだろうから、いいか。いや、次は間を空けずに参加したいぞ!

 と言うことで、「かめこ展 vol.10」の参加レポートでした。

 今回は、先に書いた通り、「自分の中でそうっとしておきたい写真」なので、展示した写真はネットで公開しません。それでは寂しいので、家族が写っていないこの写真だけを。

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